ノハナショウブ関連情報
Kew植物園のデータベースによると、Iris ensata の野生の分布域は”Amur, Assam, China North-Central, China Southeast, Inner Mongolia, Japan, Kazakhstan, Khabarovsk, Korea, Manchuria, Primorye, Yakutskiya”と記載されています(https://powo.science.kew.org/taxon/urn:lsid:ipni.org:names:438572-1)。この記載には、”Native"という語が用いられていますので、var. spontanea (ノハナショウブ)を含めているようです。日本国内では、北海道から鹿児島県まで広範囲で生育地が知られていますが、世界的にみると中国浙江省付近からロシア・ヤクーツクの地域となり、ノハナショウブの生育可能な気候帯はかなり広いことが推察されます。
昭和10年代に国が3つの群落を指定しています。ノハナショウブではなく、ハナショウブ群落として記載されているのが興味深いところですので、次に種名としてのノハナショウブの歴史をたどってみました。
Iris ensata は、1794年にハナショウブの学名として発表されていますが、ノハナショウブの学名Iris ensata var. spontanea は、1931年に牧野氏らにより、日本植物総覧において記載されています。次ページ(下図)には、ノハナショウブ、ヤマショウブ、ドンドバナの和名記載があります。
恐らく、1930年代に天然記念物が指定されたころには、ノハナショウブの種名が一般的ではなく、単にハナショウブとして一括りに扱われていたことと推測されます。
(出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
毎年端午の節句の頃になると、ショウブとハナショウブの違いについて、ニュース等で耳にする機会も多いのではないだろうか。ショウブはショウブ科(APG)で地味な花を付ける植物であるが、ハナショウブはアヤメ科でショウブに似た葉を付け、きれいな花も咲かす植物であり、そのことが種名の由来となった。そしてノハナショウブは、野生で生育している意を込めハナショウブに“ノ(野)”が付加され、それが種名となった。この説に間違いはないが、実際はもう少し複雑であるので、一度整理してみたい。(以下種名を意味する場合はカタカナ、呼称を意味する場合はひらがなまたは漢字で記す。)
日本に自生する主要なアヤメ属植物として、カキツバタ、アヤメ、ノハナショウブをあげることができる。この中で、いち早く日本文学の中に登場するのはカキツバタである。万葉集にはカキツバタが7首詠まれている。アヤメに読み方が類似した“あやめぐさ”は、12首に見出されるが、これらはショウブのことを詠んだものであり、アヤメについてではない。ちなみに“しょうぶ”という単語は万葉集には出てこない。
それでは、これら3種のうちなぜカキツバタだけが歌にとりあげられたのであろうか。カキツバタの語源は、“書き付け花”に由来するとの説が有力と思われる。つまり、花そのものに焦点が当てられていた可能性が高く、類似した色と形の花を付けるこれら3種が、万葉集の時代に本当に識別されていたか疑問が出てくる。あくまでも想像の域は出ないが、これら3種の生息域を考慮すると当時の都の人々の生活圏に隣接して生育していたのは、ノハナショウブ>カキツバタ>アヤメの順番だったと推察され、最も身近な存在であったはずのノハナショウブが全く詠まれていないことを考えると、これら3種すべてをカキツバタと称していたと捉える方が良いのかもしれない。万葉時代にこれら3種がカキツバタへ包含されていたとする説は、江副(2018)1)でも言及されている。たとえば現在でも、生産物としての“アケビ”は、アケビ、ミツバアケビ、ゴヨウアケビなど複数の種類から収穫される果実の総称としても用いられている。”カキツバタ“を生産物として捉えれば、類似した花をつける数種の総称であったと考えることには違和感がない。ここでは、ノハナショウブは、最初、カキツバタとして当時の人々に認識されていたとする説をとりたい。
一方、ショウブ科のショウブは、前述のように奈良時代は“あやめぐさ”と呼ばれていたようである。株から出ている複数の葉が“文目”模様を織りなしていたことに起源があるとされている。ところが、奈良時代から平安時代にかけての漢語の借用に伴い植物名についても和名と漢名を対比させる作業が進められ、“あやめぐさ”には漢語の”菖蒲“が当てられ、それが混乱の元になってしまったようだ。つまり菖蒲の読みとして、元来の名称”あやめぐさ“、それの省略で”あやめ“、さらには漢字に由来する”さうぶ(しょうぶ)“と多様化してしまった。はたまた表記についても、菖蒲=あやめ(本来はあやめぐさ)の認識から、あやめぐさを”菖蒲草“として書いてしまい、結果として“あやめぐさぐさ”も生み出してしまった。1001年頃に成立した枕草子では、ショウブが菖蒲として用いられているのが確認できる。余談であるが、漢語では本来、菖蒲はセキショウを指していたようである。
いずれにしてもあやめぐさの葉に似ているが、きれいな花をつけるアヤメ属の植物に対して“はなあやめ”という呼称が成立したのは、実に自然な流れである。漢字で書けば花菖蒲、当然、はな(さうぶ/しょうぶ)と読むこともできる。“花菖蒲”という表現は、例えば拾玉集(1346年)で確認することができる。書写では“花あやめ”となっているものもあるが、恐らく原書は花菖蒲であろう。さらに、仙伝抄(1445年)の異なる系統の書写の中に同一箇所にもかかわらず“花菖蒲”、”花しょうぶ“、“花せきせう(せきしょう)”という記載が確認できる。これは、原書が漢字で“花菖蒲”と記載されていたためと類推される。そのため15世紀ころまでに、“はなしょうぶ”と呼ばれていたとの確信は持てない。しかし、これらが書写された1600年前後の年代には、“はなしょうぶ”という呼称があったことは確かである。仙伝抄の記述内容をみると5月5日の節句の生け花の説明であるので、旧暦であることと3種それぞれの開花時期を考慮すると、ここでの記載はアヤメやカキツバタではなく、間違いなくノハナショウブを指していると確信できる。
長く人々の生活に慣れ親しんでいたノハナショウブは、園芸植物としても扱われ、育種の結果、様々な品種が育成され、より人々の生活に密着したものになっていった。その結果、江戸時代に日本に滞在した植物学者であるツンベルクの目に先に留まったのは、野生のノハナショウブではなく、園芸品種の花菖蒲であったようだ。そのため、植物学的には花菖蒲が、ハナショウブとして登録され、野生種にはノハナショウブの呼称が与えられる結果となった。以上整理すると、現在のノハナショウブという種名は、カキツバタ、ハナアヤメ、ハナショウブと変遷し、1930年代に今の名前にたどり着いたことになる。余談ではあるが、万葉集や古今和歌集の時代に“はなかつみ”と呼ばれていた植物があり、それがノハナショウブを指していた可能性も指摘されている(田淵2004、長2021)2,3)。これについては玉川大学教授田淵氏のWeb上での解説も参考になる4)。ただ、”はなかつみ“については、古文での出現頻度が少なく、どの植物を指していたかの特定には至っていない。ノハナショウブを表す大和言葉と思われるが、今もどこかでひっそりと咲いているのかもしれない。
1)江副(2018) 草木名の語源 鳥影社 p.46
2)田淵(2004) 生活と園芸―ガーデニング入門 玉川大学出版
3)長(2021) 〈花かつみ〉考 : 『万葉集』六七五番歌の検討 学習院大学国語国文学会誌 (64), 3-18
4)https://www.tamagawa.ac.jp/agriculture/teachers/tabuchi/theme/02/02_2.html
2024年3月26日
文責: 加藤